BIOGRAPHY

P・P・アーノルド。
それは変化に富んだ偉大なシンガーのストーリー。

教会のゴスペルで音楽の才能に目覚め、17歳でスタートしたシンガーのキャリアは、ローリング・ストーンズ、スモール・フェイセズ、ジミ・ヘンドリックス、ロッド・スチュワート、バリー・ギブ、エリック・クラプトン、キース・エマーソン、ハンブル・パイ、ザ・マンフレッド、ニック・ドレイク、ロジャー・ウォーターズ、更にポール・ウェラー、オーシャン・カラー・シーン、ザ・プライマル・スクリーム等数え切れないセッション・レコーディングとツアーを行ってきている。彼女こそ、まさに40年以上に渡るブリティッシュ・ロックとポップスのヒストリー。

 

Roots:
P・P・アーノルド(本名:パトリシア・アン・コール/通称:パティ)はテキサス州タイラーからカリフォルニア州ロサンゼルスに移住してきたゴスペル歌手、テオラ・コールとメアリーの間に6人の子供の2番目として誕生。ロサンゼルス・ワッツのフル・ゴスペル・バプテスト教会で家族や兄弟と一緒にゴスペルを歌いながら育つ。当時はプロのシンガーとしてのキャリアは想像もできない夢のまた夢だった。

 

17歳の時、パティは既に結婚し、2人の幼い子供の母親として夫の虐待に耐える日々を送っていた。

ある日曜日の朝、パティは神にこの地獄のような日々から抜け出す方法をお示しめしくださいと力強く祈った後、二人の友人、マキシン・スミスとグロリア・スコットからの電話を受ける。アイク&ティナ・ターナーのバック・シンガーのオーディションで、一緒に行く予定だった女の子が突然キャンセル、なんとかパティに一緒に行って助けて欲しい、というお願いだった。パティは夫を恐れ「私は行けない」と電話を切ったが、友人たちはその後すぐに彼女のアパートに推し掛けて説得。最後はちょっと友達と買い物に行く間、子供たちの世話をしてほしいと夫に嘘をつく。驚いたことにその嘘が功を奏し、普段はとても厳格で威圧的だった夫が子供たちを見ることに同意した。 

Ike & Tina Turner:

その朝の奇跡のような展開を経て、パティはアイクとティナ・ターナーのリビングルームで「ダンシング・イン・ザ・ストリート」を歌い、彼らのバック・シンガー&ダンサー、ザ・アイケッツのメンバーとしてとしてツアーに同行するオファーを受けた。

 

当初パティは友人を助けるためにオーディションに来ただけだった。

しかし家に電話をせずに翌朝午前6時に帰宅、一層威圧的な態度で現れた夫に対し、パティはティナ・ターナーの素晴らしさに魅了され、ロサンゼルスから北に約4時間離れた場所で行われたショーに一緒に行ってきたと夫に説明、これからはティナ・ターナー達と一緒に行く事を決断したと伝えた。その言葉はパティの人生を完全に変えた。両親のサポートにより、彼女は虐待される絶望的な生活から抜け出しプロのシンガーとしてのキャリアを追求し始める。

パティはアイク・アンド・ティナ・ターナー・レビューのバック・シンガー&ダンサー、アイケッツの正式メンバーになり、ソウル、ファンク、ロック・エンターテイナーとして最高の才能を持つ女性シンガー、ティナ・ターナーから専門的なトレーニングを受け、過酷なサーキット・ツアーをする日々が始まったが、これはキャリアのほんの序章に過ぎなかった。

Solo Career – 'First Lady Of Immediate' and 'Kafunta':

1966年「River Deep Mountain High」の英国での大ヒットで、アイク&ティナ・ターナー・レビューとアイケッツのメンバーのパティは英国ツアーの為にロンドンに到着、全てがベストなタイミングだった。

ザ・ローリング・ストーンズとのUKツアー中、ミック・ジャガーはパティを"発見"、すぐに当時のストーンズのマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムに彼女の存在を教えて彼のイミディエイト・レコードと契約するように仕向けた。この時のパティのフォトの大部分を撮影したフォトグラファー、ゲレッド・マンコウィッツは彼女をP・P・アーノルドと命名、以後それが彼女の名前となる。

アンドリューがプロデュースしたP.P.アーノルドの最初のアルバム「The First Lady Of Immediate」(「Everything’s Gonna Be Alright」はアルバムからの最初のシングル)は、それ以来ノーザン・ソウル、モッド・サウンドのクラシックになっている。

ミック・ジャガーは、P.P.アーノルドの自作曲「Though It Hurts Me Badly」と「Treat Me Like A Lady」をプロデュース。更にザ・スモール・フェイセズのスティーブ・マリオットとロニー・レーンは、ヒット作「(If You Think You're) Groovy」をP・P・アーノルドの為に書きプロデュース。

 

マイク・ハーストがプロデュースしたキャット・スティーブンのクラシック「The First Cut Is The Deepest」はアルバムの中で最大のヒット曲だが、これはP・P・アーノルドのヴァージョンがオリジナル。

1968年、アンドリュー・ルーグ・オールダムがプロデュースしたP・P・アーノルドのセカンド・アルバム「Kafunta」は、それまでの彼女のイメージを変えるクラシック・カバー・コレクションとなった。主なカヴァー曲は、

 

・ジャガー/リチャーズ「As Tears Go By」

・ブライアン・ウィルソン(ザ・ビーチ・ボーイズ)「God Only Knows」

レノン/マッカートニー「Yesterday」、「Eleanor Rigby」

・ビージーズ「To Love Somebody」

またチップ・テイラーの名曲「Angel Of The Morning(朝の天使)」の彼女のバージョンは、ジョン・ポール・ジョーンズによるオーケストラ・アレンジが施され、これほど荘厳に聞こえるバージョンは他にないと評されている。

London's Swinging 60's:

1967年から68年にかけて彼女はスモール・フェイセズのツアーに同行しテレビにも出演、大ヒット曲「Itchy Coo Park」「Tin Soldier」でバック・ボーカルとして参加した。

同時期に、ギターにロン・ウッド、ベースにキース・リチャーズ、ピアノにニッキー・ホプキンス、ハモンド・オルガンにキース・エマーソン、そしてジョージー・フェイム・ブラス・セクションが参加したシングル「Come Home Baby」(イミディエイト・レコード/ミック・ジャガープロデュース)でロッド・スチュワートとのデュエット曲がある。同様にモータウンのスタンダード「Reach Out (I'll Be There)」のクリス・ファーロウによるバージョンにも参加(ギターはアルバート・リー、ドラムはカール・パーマー)。

1960年代後半イミディエイト・レコードの崩壊後、彼女はロバート・スティグウッド・オーガニゼーションとプロダクション契約、バリー・ギブのプロデュースでポリドール・レーベルから2枚のシングルをリリースしたが、ギブと計画していたアルバムが完成することはなかった。1969年から1970年にかけて、彼女はギブ自身がプロデュースした11曲をレコーディングしたが、そのうちリリースされたのは「Bury Me Down By the River」と「Give a Hand, Take a Hand」の2曲だけだった。

The 70’s - Changing Times

1970年代に入り、P・P・アーノルドはアシュトン・ガードナー・アンド・ダイクに加え、イエスに加入するスティーヴ・ハウを含む新しいバック・バンドを結成。スティーブ・マリオットのハンブル・パイのアルバムではバッキング・ボーカルとして参加している。

またエリック・クラプトンのグループ、デラニー&ボニーのツアーではオープニング・アクトとしてジョージ・ハリスンやビリー・プレストン等と共にツアーに同行。ツアー後はエリックとさらなるレコーディングのためにスタジオに入り、リタ・クーリッジ、ドリス・トロイとともに、デラニー・ボニー&フレンズとの未発表セッションを多数制作している。

更に彼女はミュージカルにも進出、ロック・ミュージカル「Catch My Soul」でP.J.プロビーとランス・ルゴーと共演。その後もロック・ミュージカル「Jesus Christ Superstar」のオリジナル・アルバム、ニック ドレイク「Poor Boy」のレコーディング、ドクター・ジョン、グラハム・ナッシュ、ゲイリー・ライト、マナサス、ネクター、ジミー・ウィザースプーン、ニルス・ロフグレン、エリック・バードン、フレディ キング等のイギリスとアメリカの数多くのレコーディングにセッション・ボーカルで参加している。

 

Tragedy

1977年、P・P・アーノルドは娘を交通事故で亡くす悲劇に襲われる。娘の死後は公の場から身を引き翌1978年まで表舞台に現れなかった。この時、未完成だったソロ・アルバムを完成させたいと考えていたバリー・ギブと再会。彼らはモータウンのカヴァーでゴフィン/キングの名曲「Will You Still Love Me Tomorrow?」を彼女とアンディ・ギブとデュエットするヴァージョンをレコーディングした。

※残念ながらこれらの作品は2017年まで未発表のままだった。

Getting Back On Track In The 80’s - Starlight & More 

1983年、P・P・アーノルドはエレクトロ・ポップ・グループのケイン・ギャングとレコーディングしたザ・ステイプル・シンガーズ「Respect Yourself」のカヴァー・バージョンで英国とオーストラリアの両方でヒット・チャートに復帰、全英21位、オーストラリアで19位を記録する。

1984年にはアンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカル『Starlight Express』にレイ・シェル、ステファニー・ローレンス、ジェフリー・ダニエルズら劇団のオリジナル・スター・キャストと共にベル・ザ・スリーピング・カー(寝台車)役で舞台復帰、ミュージカルのオリジナル・アルバムもレコーディングした。更にビリー・オーシャンのUSと日本ツアーに参加するもツアーが始まる数週間前、交通事故で足に重傷を負い最初は松葉杖をつきながらツアーに同行したが、最終的には怪我のため10週間後にツアーから離脱。

その後レコード会社との契約も無く怪我の為ステージも出来なかった彼女だったが、1986年ロック・シーンに復帰。ピーター・ガブリエルの世界的大ヒット「Sledge Hammer」でバッキング・ボーカリストとして再び注目を集める。

Burning It Up On The Dance Scene 

1988年にはビートマスターズとのレトロ・スタイルなアシッド・ハウスのヒット「Burn It Up」でのコラボレーションも成功、全英14位に達し、10週間以上チャートにランクインした彼女の3番目のヒット曲となった。

1980年代後半から1990年代にかけて、P・P・アーノルドはセッション・ボーカリストとしてのキャリアを再開、この時期の彼女のクレジットには、The KLFの「What Time Is Love?」、「3 A.M Eternal」、ニーナ・ハーゲン、ロジャー・ウォーターズのアルバム『死滅遊戯』、グレアム・パーカー等。1989年には旧友のスティーヴ・マリオットと再会、彼のソロ・アルバム『30 Seconds to Midnight』をレコーディングしたが、これが2人の最後のコラボレーションとなった(スティーヴ・マリオットは1991年に住宅火災で死亡)。

1990s - Beautiful Thing  
1994年、P・P・アーノルドは受賞歴のあるミュージカル『Once On This Island』で美しき愛の女神エルズリー役として参加。このミュージカル作品がバーミンガムで上演されている間、彼女はイギリスを代表するバンド、オーシャン・カラー・シーンと出会う。オーシャン・カラー・シーンは、彼等がリスペクトするポール・ウェラーと同様にスモール・フェイセスを崇拝している後期モッズ・グループにおけるニュー・ウェイヴの一つだった。

1995年にはプライマル・スクリームと協力し、さまざさまざまなアーティストによるスモール・フェイセスのトリビュート・アルバム『Long Agos and Worlds Apart』のオープニング曲「Understanding」の激しいカバー・バージョンをレコーディングする。

1997年には全英アルバムチャート1位を獲得したオーシャン・カラー・シーンのアルバム『Marchin' Already』に参加。シングル「Travellers Tune」でバック・ボーカル、1998年のシングル「It's a Beautiful Thing」ではサイモン・ファウラーとデュエット・リード・ボーカルを担当、更に彼らのMarchin' Alreadyツアーへバック・ボーカリストとして同行した。

またこの時期に彼女はトロッグスによってレコーディングされジミ・ヘンドリックスによって世界的に知られているナンバー「Wild Thing」の作曲者として知られ、彼女がイミディエイト時代にレコーディングした「Angel Of The Morning」も作曲したチップ・テイラーと共に「Temptation」というデュエット・ナンバーをレコーディング、2001年オランダのTrain Wreck Recordsからリリースしている。

The Immediate Anthology, New Duet Album and Worldwide Tours

2001年、P・P・アーノルドはイミディエイト・レコード時代のフル・ディスコグラフィーを収録したアルバム『The First Cut (The Immediate Anthology)』をリリースする。 これは彼女の有名なアルバム「The First Lady of Immediate」と「Kafunta」の他にいくつかのシングル曲が含まれている。

1999年から2008年にかけて彼女はロジャー・ウォーターズのIn The FleshツアーとDark Side Of The Moonツアーにおいてバック・ボーカリストとしてそれぞれ3年間に渡って世界中を回り、コンセプト・アルバム『Amused To Death』における「Perfect Sense」では素晴らしいボーカルで世界中の聴衆を驚かせた。オリジナル・アルバムとライブの両方で、この曲は部分的にロジャー・ウォーターズによって歌われているが、メインはP.P.アーノルドによって歌われている。

2009年、彼女はフライング・ミュージックの「This Is Soul Tour」でジェノ・ワシントンとジミー・ジェームスとともにイギリスをツアー、それ以後は単独でイギリス中をツアーしステージでソウル・ミュージックをオーディエンスに届けている。

 

2012年、P・P・アーノルドはマディ・プライヤー、ジェリー・ドナヒュー、デイヴ・スウォーブリック、ティア・ギルモア、その他多くのフォーク・アーティスト等と共に「The Lady: Homage To Sandy Denny」ツアーに参加しイギリスを廻った。彼女はステージでサンディのナンバー「Old Fashioned Waltz」、「I’m A Dreamer」、そして彼女もレコーディングした「Take Me Away」の3曲をソウルフルに披露して敬意を表した。 

 

2013年にはイギリスのソングライターのジングル・ライター、映画やテレビの音楽作曲家デヴィッド・ミンデルとのプロジェクト『The Band of Sisters』に参加。彼女の他、イギリスとナッシュビルからミム・グレイ、テッサ・ナイルズ、リンダ・ヘイズ、スティーヴィー・ランジ、マンディ・ベルなど伝説的な女性ボーカリストがこのプロジェクトに集められた。そして彼女達のデビューアルバムとして『Issues』がレコーディングされる。『Issues』は女性による女性のための16曲で構成されており、収録された彼女のナンバー「It's A Beautiful Song」はシングルとしてもリリースされた。

Exciting years. Solo Tour and Sold Out Concerts

2015年はP・P・アーノルドにとって非常にスペシャルで刺激的な一年になった。

彼女が1970年代にリリースしたセカンド・アルバム「Kafunta」がビッグ・セールスを記録し続けている南アフリカのケープタウンで初のソロ・ツアーを行った。

 

「2002年にロジャー・ウォーターズのツアーで南アフリカに行くまで、私のレコードがこれほど大成功を収めているとは知りませんでした。大きく心を動かされたので是非ファンの為にソロ・ツアーを行う事に決めました」

 

その後、彼女は「Solid Silver 60’s 」30 周年記念ツアーの一環としてビリー・J・クレイマー、マイク・ペンダー (ザ・ サーチャーズ) 、クリス・ファーロウ、マージービーツと共演。またこの年は、ワイト島で行われたモッズ・スクーター・フェスティバルでのコンサートが満員となり、カムデンタウンの「The Jazz Café」25周年記念式典でも満員の中でパフォーマンスした。

翌2016年、ウォータールーのヴォールト劇場で行われたスモール・フェイセズのミュージカル『All or Nothing』イベントに出演。このミュージカルはスティーブ・マリオットと彼女の恋愛が非常に美しく記録されいる。

更に、ザ・クラシック・グランド・グラスゴーと西ウェールズ州ロージーギルウェンのザ・ベニューでのソロ・コンサートが完売、7月にはさらなるハイライトとして50周年を迎えたThe Burton Agnes Jazz and Blues FestivalとThe Windsor Festival Of Jazz, Folk and Blues Festivalに出演した。この年の締め括りはズート・マネーと共にザ・マンフレッズのツアーに特別ゲストとして参加、どの会場でもファンから熱狂的に迎えられた。

50th Anniversary and an Album of Unreleased Recordings

2017年、P・P・アーノルドはついにヘリテージ・レコーディングをアルバム「The Turning Tide」としてリリースした。

1968年から1970年の間に、バリー・ギブ、そしてエリック・クラプトンと共にレコーディングを行った多くの音源は長い間未発表のまま残されていたが、バリー・ギブの友人でマネージャーのディック・アシュビーからビル・レベンソンを紹介された彼女は幸運にもこれらのマスター・テープを発見する。センシブル・ミュージックのジェフ・アレンとジョン・ムーン、スティーブ&サリー・クラドック、そしてポール・ウェラーの協力を得て、ポールのブラック・バーン・スタジオのエンジニア、チャールズ・リースがミックスしたこのアルバムは、トラフィック「Medicated Goo」やストーンズ「You Can’t Always Get what You want」のハードなバージョン、ゴスペル・ナンバー「Bury Me Down By the River」、「Give A Hand Take A Hand」、そしてバリー・ギブ作曲でアルバム・タイトルとなった美しいバラード「The Turning Tide」等、メディアや批評家から高い評価と人気を得る。

彼女は『The Turning Tide』リリースのタイミングで音楽活動50周年ツアーを行った。また同年年5月にリリースされたポール・ウェラーのアルバム『A Kind Revolution』の「Woo Sé Mama」でマデリーン・ベルと並んでバック・ボーカルとして参加する。

 

2018年、ユー・アム・アイのティム・ロジャース等のバックアップを受けてオーストラリアとニュージーランドを巡る初のソロ・ツアーを行う。11月には2回目のツアー「The Return of PP Arnold」でオーストラリアへ戻り、そこで再びジェームス・ブラック・アンド・ザ・ウルフグラム・シスターズとユー・アム・アイと共演。またオーストラリアのテレビ番組『Rockwiz Tour 2019』の特別ゲストとして出演しロックウィズ・オーケストラと共演した。

Bring it on! New Solo Album, 
PP Arnold is a real Soul Survivor, still going strong!

2019年、4枚目のソロ・アルバム『The New Adventures Of... P.P. Arnold』をリリース。このアルバムは彼女の大ファンでもあるオーシャン・カラー・シーンのメンバーでポール・ウェラー・バンドのギタリストも務めるスティーヴ・クラドックによってプロデュースされており、クラシックなオーケストラ・ソウルからハウス・ミュージックまで多岐にわたり、最後はボブ・ディランの詩「ウディ・ガスリーへの最後の思い」の朗読で終わる。同年10月よりアルバム発売記念の英国ツアーを行った。

2020年、ザ・フラテリスが彼女をリード・ボーカルにしたシングル「Strangers In The Street」をリリース。

2022年9月、彼女の波乱に満ちた人生を描いた自伝『Soul Survivor』発売(英語版のみ/日本語版は未発売)。

 

そして現在もなお、P・P・アーノルドは精力的にライヴ、コンサート活動を展開。

新しい "冒険" を続けている。